
どうもヤジキタです。
「デジャブかな?」
先日、中居正広性加害問題でフジテレビの社長が会見を行いましたね…
今さら事の詳細を書く必要はないと思いますが、愕然とせざるを得ない会見となりました…
会見に参加するメディアの選別を行い、かつ映像の撮影は禁止し静止画のみ使用可能とする、およそテレビ放送メディアとは思えないルールを自ら設けるという、最悪の悪手をかましてくれましたね。
普段は平気で有名スポーツ選手の自宅を無許可で放送したり、報道の自由を名目にオープンな会見等を声高に叫ぶくせに、いざ自分たちが取材を受ける側になったら禁止禁止で放送しない・放送させない権利を行使するというマッチポンプぶりを発揮し、問題を更に炎上させる愚かすぎるフジテレビ幹部たち。
正直、何処かで見たような後継ですよね…
23年10月に起きた宝塚歌劇団での悲劇と、その後の歌劇団幹部達の迷走ぶりを思い起こさずを得ない宝塚ファンも多い事ではないでしょうか…
公に宝塚歌劇団理事長が会見を行うとなったものの、まさかの在阪記者に限り映像使用禁止のクローズな物に留まり、
その後、全国メディア向けのオープンな会見は謎の室長という肩書の人物に押し付けて、見事に火に油を注ぐ結果となりましたよね。
まさにトップの責任回避が招いた炎上という構図になりますが、今回のフジテレビも全く同じ様相です。
社長が24年の年末にはフジテレビ幹部社員の関与は無いと明言しておきながら、問題が大きくなると方針を転換したのか、せざるを得なかったのか、
渋々だけど会見を行いますよ感丸出しで、全く誠意の欠片もないようなクローズ会見で結局炎上ですね。
これも結局はアメリカの投資ファンドから圧力を受けて渋々といった所だろうが、この国は外圧がないと何も出来ない辺りはフジテレビ以前の問題ですけどね…
フジテレビの上にはフジサンケイグループという巨大な傘となる存在があり、そこに君臨するのが日枝久取締役である。
フジサンケイグループの天皇とも揶揄される存在の意向なしにはフジテレビの社長如きに何も権限がない事は承知だが、これもまた宝塚歌劇団と似たような構図ですよね…
阪急電鉄の広告宣伝部門にすぎない宝塚歌劇団の上には、阪神阪急HDという巨大な傘があり、そこを牛耳る角和夫会長。
所詮、宝塚歌劇団の理事長なんて阪急電鉄の部長程度の力しかなく、角和夫会長の意向なしには何も出来なかったのかもしれません…
とは言え、
フジテレビの社長も、宝塚歌劇団の理事長も、ひとつの組織のトップ・代表者であり、何人もの社員の代表であるはずなのである。
にも関わらず、
自らの社員を守らず、自分たちの権益や、取引先への享受を優先して、弱い物は切り捨てる。
宝塚歌劇団の場合は被害者も加害者とされた側も同じ立場の劇団員だからズバッと動きづらい部分もあったとは思う…
しかし今回のフジテレビの場合はどうであろうか?
被害を受けたのはフジテレビの社員、
加害者は別企業のいちタレントに過ぎない中居正広、
その被害を招いたのはフジテレビの幹部、明らかに構図が違いますよね。
フジテレビが守りたかったものは、一社員ではなく、自らの幹部と、取引先のタレントだったのは明らかであり、事件を封殺して何も無かった事にする。
本当にカスですよ。
フジテレビも中居正広もゴミです。
被害者が公にしたくないという気持ちは大いに尊重できますが、だからといって中居正広を局として使い続ける理由ってありますか?
自分達の社員が性加害にあっているのに、当事者である中居が平然と冠番組を続けている様子を見れば、被害者がフジテレビに絶望するのは当たり前の話であり、
そうなると分かっていても中居正広を切らなかったのだから、自分(幹部)たちファーストと罵られても致し方ないです。
今回の件は、個人的にはダウンタウン松本人志性加害問題より酷いと思いますね。
あの問題も確かに強要的な部分もあったかもしれませんが、あくまでも個人間での問題であり、スピードワゴン小沢にアテンドされた女性が先ずは自らの意思で飲み会に参加したという事実があります。
(松本人志の処遇責任は吉本興業にありますが…)
しかし今回の場合は、
仮にも文春等の話が真実だとすれば、立場を利用したフジテレビ幹部がセッティングした飲み会に半ば強制的に誘い出された社員が、中居に性加害をされるという組織的な行為を伺わせるものであり、
フジテレビ内でそうしたシステムが構築されていたのならば当然ながらフジテレビも当事者であり、
被害者と加害者のどちらを守るかの判断も当然ながらフジテレビ幹部達に委ねられる案件である。
事件が起きたのが2023年6月に起きたとされ、フジテレビ幹部もその事実を認識していたとのこと。
そこから1年半という期間があり、途中では松本人志の問題を受けて、松本人志&中居正広の共同冠番組で松本人志が離脱降板する事にもなったが、フジテレビは中居正広だけを残して番組継続を図った。
もう答えは明らかであり、
終わらせるタイミングを見計らっていたと言いながら、そこで番組自体を終わらせなかったフジテレビは被害者である社員よりも、加害者の中居正広を守った・守るという判断を下したという事ですよ。
被害者ファーストではなく、加害者ファーストで動いた結果の今の惨状ですから、自業自得と世間から嘲笑されても誰も擁護してくれませんね。
スポンサーがどんどん撤退しているという報道も出てきたが、当然であり遅すぎた話である。
フジテレビといえば、
かつては民放視聴率No.1という肩書を持っていたが、現在では振り返ればテレ東、或いはテレ東以下と揶揄されて久しい訳だが、まぁ当然よね。
こうした事が起きたから言い出したと思われるのも癪だが、私は昔からフジテレビは観ないし、なんなら嫌いです。
私が小学生・中学生くらいの時が、フジテレビの黄金期を少し過ぎたくらいだったと思う。
その当時のフジテレビの代表的なバラエティといえば、
『めちゃイケ』『はねるのトびら』『ヘキサゴン』あたりだったと記憶するが、とにかくこれらの番組が嫌いなのだ。
当時は確かに笑って観ていたと思うが、歳を重ねれば重ねる程に如何にこれらの番組が低俗な番組だったのかを思い知らされるのである。
私も日テレの『ガキ使』などハラスメント的な笑いを提供する番組が絶対に許せない訳ではないのだが、
とにかくこの当時のフジテレビのバラエティはハラスメントというよりも集団イジメを彷彿とさせる描写が特に多かったと記憶しています。
『ガキ使』なんかは、軸であるダウンタウンがレギュラーの山ちゃんやココリコ、番組スタッフ達に対して無理難題を押し付けて笑い、時に反撃をされるという、ある種の1対1の信頼を元にしたやり取りが感じられたからこそ、ダウンタウンのハラスメント的な行いも笑いとして受け取れたのだ。
しかしフジテレビのバラエティといえば、軸になるようなメインタレントを置かずに、同じような芸歴の多数のグループを集めて競わせるような番組を作る事が多く、
『めちゃイケ』や『はねるのトびら』がまさしくそれである。
軸になる芸人がおらず、その時々で笑いの中心にいる人が変わるというのは当初は良かったが、次第にメンバー間に実力差が生じ始めると、売れているメンバーが売れていない者をひたすらにイジり倒す構図の企画が増えていき、最期には1人に対して全メンバーで、さながら集団イジメをするような絵面が増えていった。
流石に高校生くらいになると、この手の構造番組に不快感が生じるようになり、フジテレビのバラエティを観る事は一切無くなった。
報道番組の多くもいわゆるワイドショー寄りの芸能ニュースばかりで、申し訳ないがフジテレビ=教養のない人が観るTVという印象を抱き続けている。
みんな忘れていると思うが、数少ない報道番組と言える『とくダネ』もメイン司会だった小倉智昭氏の逝去で美談化されたが、放送当時は小倉の上から目線で高圧的な物言いが何度も反発や炎上を招き、不快感だけなら関口宏の『サンデーモーニング』に勝らずとも劣らない番組でしたね。
(スッキリ加藤浩次&テリー伊藤・スパモニ玉川徹・朝ズバッ!みのもんた・とくダネ小倉智昭とかいう地獄のような朝8時の横並びラインナップよ…笑)
その後起きたフジテレビ嫌韓デモなどに賛意は示す事はなくても、フジテレビの印象は常に底辺にあり、振り返ればテレ東と言われているのもテレ東に失礼だろうと思うくらいである(笑)
そして今回の事件を受けて、
「裏切られた」とか「見損なった」というような感情は湧かず、
「まぁこんなテレビ局を未だに信頼して観ていること自体が恥ずかしい事ですよ」
程度にしか思わない。
もはや昨年など杉野遥亮を観るだけの価値しか無かった(笑)フジテレビなど消えて無くなっても全く困りません。
性犯罪者の中居正広ともども消えて貰って全然構いませんが、こうした問題が本当にフジテレビだけの話なのかといえば間違いなくNOであろう。
女子アナウンサーという職業自体が、テレビ局を数年踏み台にするタレント業の一種と勘違いしている当事者も多く見受けられる昨今ではあるが、
だからといって正式な社員である以上は当然会社に守られて然るべき存在なのだから、一部業界の枕営業などとは、また話が全然違うのである。
今後どんな顛末を迎えるのかは分かりませんが、もはやフジテレビなど無くなったって構わないという私の想いは、どんな自浄作用を働かせようとも、これからも変わる事は絶対に無いでしょうね。
⇩ここから宝塚ブログランキングに飛べます!

にほんブログ村
最新記事はコチラ⇩
2024年総決算企画はコチラ⇩
スポンサードリンク
コメント