
どうもヤジキタです。
昨日は毎週恒例になる文春デーでしたが、
今回は元宝塚演出家の上田久美子氏による演出助手やジェンヌに対するパワハラ疑惑が取り上げられましたね…。
まー、ぶっちゃけ言うと、
全然驚きませんでした!w
ある程度宝塚を長く観てた人なら上田久美子氏が、悪人とまでは言わないが善人と思っていたファンなんて居ないんじゃないっすか?w
そもそも宝塚を去って直ぐのインタビューで「ヲタは推しじゃなくて作品見ろよ」と吐き捨てたりw、
珠城りょう退団公演『桜嵐記』で「ヲタは要らん所で拍手するな」という個人的お気持ちを、劇中で光月るう組長にセリフとして言わせた事件などを考えれば、
「それくらいの事していてもおかしくは無いよねあの人」
とは思いましたねw
団員以外立ち入り禁止の楽屋に押しかけて紅ゆずるを長時間に渡ってメタメタにして稽古場出禁を食らったという話はちょっと笑ってしまったが、
『霧深きエルベのほとり』の東京千秋楽公演中に紅ゆずるが喉を飛ばしてしまったという事実を鑑みると、相当ストレスが溜まった末の事だったのかな…とも思い複雑な気持ちになってしまうな…。
そもそも紅ゆずるだから笑っちゃうけど(ごめんなさい紅子さん…)
これが他の人なら「酷すぎるでしょ!」
と怒るところですよね。
ただね…擁護する気は無いんですけれど、上田久美子作品は確かに面白かったんですよ…。
『桜嵐記』しかり
『霧深きエルベのほとり』しかし
『fff』しかりとね…
まぁよく天才とキ◯◯イは紙一重(表裏一体?)と言いますが、彼女は間違いなく天才だったとは思う。
一方で天才であるが故に自分より劣る人間の事が理解出来ない&完璧主義故に妥協を許すことが出来なかったんでしょうね。
退団者にはしっかりと目立つ役を与える優しさを見せる一方で、
歌えない人には歌わせないし、踊れない人には踊らせないという非情な側面を見せる辺りがサイコパスと言われる由縁なのであろう。
たぶん、この人は組織に居るべき人間ではなかったのだと思う。
ぶっちゃけ世界の蜷川幸雄だって端から見たら、超パワハラやんけ!と思うが、
出演する演者もフリーランスだからこそオファーを拒否する事も出来るのに、
蜷川がそういう人間だと承知の上で出演するのだから多少の横暴も修行の一環と我慢が出来よう。
しかし、宝塚の場合はスターも演出家もみんな基本専属なので、ジェンヌには演出家を拒否する権利がなく、演出家もまた好き嫌いが出やすくなってしまうのだろう。
故にフリーランス対フリーランスで嫌なら受けるなとはならなく、
逃げられない会社の上司と部下の様な関係性が生まれてしまいパワハラやモラハラという感情も生まれてしまい易いのだと思う。
こんな事もあってか、この女史は宝塚という組織を離れてフリーランスという立場に身を置いたのだろうし、それが本人にも周りの人間にとっても最善の術だったのだと思う。
好きにやりたければ、自ら選び、それに応えた人間相手にやれば良いだけなのだからね。
とはいえ、演出助手に対して行ったとされるハラスメントで劇団がこの助手に慰謝料を払ったのは事実であろうから、
上田久美子氏にも全く非が無い訳ではないのだろうが、
劇団がハラスメントの相談を無視し続けた、という所こそが、この一連の事態の本質の部分なのでしょうね。
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コメント
コメント一覧
コメントありがとうございます。
誰だって元々はまともな思考を持っていたはずなのに、おかしな環境に居続けると、さもそれが当たり前で当然になってしまうんでしょう…。
だからこそ、そうした場所からは、(異常な世界に染まれない)まともな人から消えていくと言われるんでしょうね…。
上田先生といえば私にとって思い出深い作品が『神々の土地』です。
あの世紀の美貌&歌下手娘役である伶美うららさんに一言も歌わせなかったあの作品です。ストレートプレイに近い作品ということでしたが、いやいや他の出演者はしっかり歌ってました。
うららさんは上田先生の贈る言葉での絶賛振りからも察せられるように、先生のミューズだったはず。しかし歌えない人には歌わせないというのはあまりに露骨で笑っちゃいましたね。
当時は、歌えない人に歌わせるのは本人が辛いからら配慮かな?と思っていましたが、今になって思えば「私の作品を壊さないでくれ」という意味だったのかなと思ってしまいます。
コメントありがとうございます。
伶美うららは露骨に歌わせて貰えませんでしたねw
あと『fff』の縣千なんかもそんな気がします。
組内序列的には縣千の方が彩海せらよりも上なのに、若き日のルートヴィヒをさせて貰えなかったのは、歌と演技両方苦手だったからかな〜と思っています。
その対応は配慮半分、ご指摘半分ではないでしょうかね。
てか、そもそも歌えない人には歌わせない、というのは一般の演劇界では当然といえば当然なんですけれどね。
宝塚だからこそ、歌えなくても歌わせるし、踊れなくても踊らざるを得ないわけですが、
その辺で折り合いがつかなくなって上田氏は宝塚を退団したのではないでしょうかね。