どうもヤジキタです
タイトルを見て様々な思いを抱いた方も多いでしょう。
今や多くの人が知る御名前ながら、多くの人が口に出すことを躊躇う御名前です。
まだ悲劇から数日しか経っていないとはいえ、未だに公式からの発表では彼女の御名前は伏せられたままです。
京アニ放火事件の際のように、
"本当に被害者が実在するのかを確かにするためにも被害者の実名報道はメディアの責任"と普段はのたまう大手メディアでも今回は実名はおろか芸名の公表もありません。
そして当方含む多くの宝塚ブログやX等のSNSの多くでも、"ご冥福を"、"安らかに"という言葉は並ぶものの主語は"彼女"や"亡くなられた方"という表現が並ぶ状況が続いております。
かくいう私も、悲劇が起きてから数記事出した中では、"彼女"や"被害者"という表現で誤魔化してきました。
御家族の心情に配慮して詳細は控えます、と公式ではアナウンスされていますが、名前すら公表されずただ"劇団員"と呼ばれている事は本当に正しい事なのでしょうか?
自殺は罪という教義を持つキリスト教圏はさることながら、我が国日本でも、自死というのは、数ある死因の中でも特に忌み嫌われ、家族間であっても一族の穢れとして秘される事が半ば当たり前とされております。
今回も多くの方が無意識にそうした慣例・慣習に習い、禁忌として彼女の名前を伏して意見や気持ちを表明していると思われます。
もちろん公式や警察等の公的機関より発表が無いままに名前を出すのは、誤報の元であり、かつ遺族の心情を無視した身勝手な行動と非難されうる行いかもしれません。
でも多くの方が既に知っており公然の秘密となっている事は間違いないでしょう。
また劇団員としてスタープロフィールなども存在する以上は何処かで必ず公表せざるを得ないでしょう。
しかも劇団が公表しなくても、既に名前を検索すると普段宝塚とは無縁の野次馬的サイトなどで名前が晒されてしまっています。
普段から宝塚を愛する人達が有愛きいという名前を口にする事を控え、何も知らない野次馬がさも事情通を装い平然と有愛きいの名を口にする事も許せないと思っております。
⇧(コメントを受けて追記させて頂きました。)
確かに御家族の心情をおもんばかれば、名前を出す事に躊躇いが無いわけではありません。
しかし、夜な夜な今回の悲劇が頭に浮かび、自ら命を絶った有愛きいの心情に深く想いを寄せれば寄せる程に、このまま有愛きいを"彼女"や"Aさん"と表現し続ける事が本当に彼女にとってベストな事なのかと思い悩みました。
他人は簡単に"辛いなら逃げればよかった"とか"死ななくても世の中には楽しい事が沢山あるのに"などと口にします。
でも有愛きいにとって宝塚歌劇団に入る事はは子供の頃からの唯一の夢であり、生きがいだったはずです。
家族からの期待もさることながら、やらしい話になりますがお金も相当の掛かったでしょうし、双子の姉妹の今後の事など様々な葛藤が脳裏に浮かんでは消えてを繰り返した結果、宝塚に残り頑張るという選択をしたのだと思います。
しかし、ふとした瞬間糸が切れてしまい極端な行動に出てしまったのだと思います。
彼女がそこまで思い悩んでも手放したくなかったタカラジェンヌという宝物を、
宝塚歌劇団も我々ファンも有愛きいという御名前を伏せることで、彼女から奪おうとしているのではありませんか?
劇団がいつまで有愛きいという御名前を伏せ続けようとしているのかは分かりませんが、彼女は有愛きいという芸名で確実に宝塚歌劇団に存在していたし、これからも"元"が付いても存在していくタカラジェンヌです。
『パガド』再開前の初七日を待って有愛きいという御名前を公表すると信じていますが、ここまでの劇団及び理事長のプレスリリースを見ると、このまま一生伏せたままに、まるで初めから存在していなかったかのような扱いをされてしまうのではないかと心配にもなってしまいます。
(劇団が悪意を持って隠蔽しようとしているとは思っておりません。御家族の意向でというのも重々承知しております)
⇧コメントを受けて追記させて頂きました。
今回の真相については、もう当事者にしか分からない事ですが、有愛きいというタカラジェンヌが確かに存在したという事実は、全ての関係者(ファンも含め)に共通の認識として永遠に共有していく事こそが、我々ができる唯一の手向けだと思います。
だからこそ我々は禁忌を越えて有愛きいという御名前を出していかなければいけないと考えております。
野次馬に弄ばれる前に、宝塚を愛する1人の人間として"有愛きい"の名前をしっかりと出して、真に心からのご冥福を祈りたいと思っております。
⇧コメントを受けて追記させて頂きました。
独り善がりな意見と言われてもしょうがないですが、私は曲がったことが大嫌いなので、過去記事に引き続きこうした記事を出させて頂きます。
批判・暴言コメントどんと来いです!
(5歳の時既に保育園の先生に"ああ言えば上祐"とあだ名を付けられたくらい捻くれてるんで、全力で皮肉のカウンターをお返ししますけどね、全公開で!)
もちろん今回悲劇に見舞われた方がもし別人だった場合は、即ブログを閉鎖してこの世界から完全に足を洗わさせて頂きます。
最近の記事はコチラ⇩
↓ぜひクリックお願いします!
にほんブログ村
スポンサードリンク
コメント
コメント一覧
宝塚歌劇団も膿を出してしまえばいいのです!
宝塚の(あえて言います)悪いところは「包み隠すこと」
隠す、ということに奥ゆかしさや神秘さを感じ、そこが好きだという方もいらっしゃるでしょう。
でも、これは、隠すべきことでなないと思います。
(ご家族のご意向で、「どうしても」というならまた別ですが)
ただ、非常にデリケートな問題でもあるので・・・ブログ執筆によるご自身のメンタルについてもご自愛なさってくださいね・・・
横から失礼します。
今回お名前を含めた詳細を公表しないこと自体は、ご遺族からの強い要望ですよ。警察からその旨が発表されていますし、少なくとも劇団が隠す意図で行っていることではないと思います。
コメントありがとうございます。
私も歌劇団が意図的に隠蔽しようとしているとは思っておりません。(本文の書き方が雑でした、申し訳ございません)
しかし、完全な一般人とは違い、然るべき場所に名前とプロフィールが載ってしまっている以上は公表しないわけにはいかないと思います。
しかも劇団が公表しなくても、既に名前を検索すると普段宝塚とは無縁の野次馬的サイトなどで名前が晒されてしまっています。
普段から宝塚を愛する人達が有愛きいという名前を口にする事を控え、何も知らない野次馬がさも事情通を装い平然と有愛きいの名を口にする事も許せないと思っております。
(この事もしっかり記事に書けば良かったと反省していますので、記事の方に追記させて頂きます。)
ご心配ありがとうございます。
メンタルは今の所大丈夫だと思いますが、深く想いを寄せ過ぎると自らもひかれると言いますから、気を付けたいと思います。
御名前を出す事は非常にデリケートな事ですし、宝塚における神秘性が貴重な魅力になっていることも重々承知ですが、人が亡くなるという事態に際して、それを公にしないのではロシアや北朝鮮と同じになってしまうと考えます。
(もちろん御家族の意向で秘しているというのも重々承知です)
ただ完全な一般人では無い以上は、遅かれ早かれ公表はせざるを得ないと考えますし、既にネットでは有愛きいという御名前が野次馬的サイトで面白おかしく取り上げられてしまっています。
こうした野次馬に弄ばれる前に、宝塚を愛する1人の人間として有愛きいの名をしっかりと出して、真に心からのご冥福を祈りたいと思っております。
管理人様
差し出がましいとは思いましたが、一応のフォローとして横からコメントさせて頂きました。失礼致しました。
私自身も週末からのSNS等における彼女のお名前を、野次馬的な外野が新しいオモチャのごとく扱う様に悔しい思いでいっぱいでした。宝塚に憧れて努力してタカラジェンヌになった彼女が、これまで彼女の存在すら知らなかったであろう人々に、この期に及んでこんな仕打ちを受けることに耐えられません。
一方で遺されたご遺族の方の意思も最大限尊重したいという思いもあり、私自身どうやってこの出来事を消化し亡くなった方を悼むのが良いかまだ答えが出ない状態です。遅かれ早かれ何かしらの動きでその「誰か」が明らかになるのも、そうだと思います。
管理人様のコメントを拝見し、この状況下で管理人様の方法もまたひとつの追悼方法なのだと感じました。長々と長文でお邪魔致しました。
コメントありがとうございます。
怒って返答した様に見えていたら申し訳ございません。
最近どうにも"日本らしさ"なるものに腹が立つことが増えてしまい、今回の出来事をきっかけに色々と噴き出してしまいました。
生まれ育った日本ですから、日本らしさというものに愛着を持って生きてきたつもりですが、ふっとした瞬間に"らしさ"の裏に隠れた欺瞞というか理不尽が垣間見えることが増えたように感じています。
(年をとっただけかもしれませんがw)
見て見ぬふりや、臭いものには蓋、本音と建前という様な駄目な日本らしさが、最近許容範囲を越えてきていると思わざるを得ず、やや暴走気味の記事を出すこととなってしまいました。
別に有愛きいさんを神格化したいとか、そんな考えは毛頭ありませんが、喧騒の中で静かに消えていってしまうのは個人的に違うのかな、と思っております。
日本らしさで言えば静かに密やかに送ってあげよう、となるのかもしれませんが、どちらが正しいのかは残念ながら私には分かりません。
ただ言えるのは、今回の悲劇を決して忘れてはいけないという事だけは、全員が一致できることだと思います。
同じ年頃の娘をもつ母として、この度のニュースはとても哀しく、驚きと共に様々な想いが巡りました。お披露目公演であったことやその前の週刊誌記事からどのように解決していくのだろうと心配でもありました。
それに加えて、わが娘も職場での悩みから、毎日毎日
辞めたい、もう嫌だ、行きたくない。3月で絶対辞める
等などこぼしながら通勤している状態だからです。あまりに心配で先週から訪ねて食事を作ったりしております。理由はひとつではない、と言ったりもしております。
名前を出されて寄り添う記事も好感が持てますし、彼女の供養になればいいなとは思いますが、やはり親でもそこに至った真意はわからないのではないか?と思うのです。彼女のことを思いやり、状況を想像してみても本人以外が憶測で物を言うことに変わりはないと思います。彼女の口からもう聞くことができないからです。それに、何から何まで家族や知人にも話さず心にしまったままだったとしたら。
仕事柄、序列のようなものがついて回るその厳しい生活の成果を私たちは娯楽としてみているということをつくづく考えています。
自殺報道ガイドラインと言うものがあります。宝塚ブログランキング上位のブログのほとんどの方がこの事件を取り上げてますが、それらを拝見して、ランキング上位となればブログもマスコミ同様に自殺報道ガイドラインに沿った記事を書いた方が良いのでは?と個人的には思いました。
コメント拝見させて頂きました。
改めて厚労省のガイドラインを見ましたが、当ブログはガイドラインの一切に違反しているとは思えませんし、他のランキング掲載ブログ様もしかりだと思います。
センセーショナルな見出しも、手法掲載も、自死そのものも美化も行っていません。
しいて言えば相談窓口への誘導が無かった事は今後配慮致しますが、亡くなられた方の御名前を掲載すること自体はガイドライン違反には当たらないはずです。
過度に悲劇性のみを強調している訳でもなく、ただ有愛きいさんというタカラジェンヌがいた事を有耶無耶にしてほしくないという想いを伝えたいだけです。
普段から宝塚やタカラジェンヌに心を寄せているランキング上位のブログ様ではなく、野次馬的に寄ってきて何の配慮もせずに騒ぎ立てる迷惑系自称インフルエンサーやまとめブログ・X等の方がよっぽどガイドライン無視の危険な存在だと思います。
コメントありがとうございます。
娘さんも文句を言えているうちは大丈夫だと思いますが、逆に何も言わなくなったら解決したと安心せずに今以上に気にかけてあげてください。
家族を必要以上に心配させないように黙ってしまうと視野がどんどん狭まってしまいますからね…
宝塚は外から見るのと、内から見るのでは全く異なる世界の代表格みたいなものですから、様々なギャップと葛藤があったのかもしれませんね。
あなたは亡くなられた方が誰なのかその目で見られたのですか?証拠はあるのですか?
直接見たわけでもないのであればあくまで「憶測」にすぎません。
憶測に基づき、死者として名前を記載するのはあなたが憤っておられる野次馬たちと同じではないでしょうか?
もし違う方が亡くなられていた場合、侮辱以外の何物でもありません。
コメント数稼ぎが狙いなのであれば、こうしてコメントしてしまった自分を恥ずかしく思いますが、「正義感」からこのような記事を書かれたのであれば、控えられた方がいいかと思います。
せっかく面白いブログですので、変にハッスルしないでいただきたいなと思いコメントさせていただきました。
コメント拝見させて頂きました。
それは貴方様の正義感であり、私の正義感とは違います。
でもそれも1つの考え方ですから否定は致しません。
記事中にも書いていますが、彼女は一般人ではありません。
一般人であれば私も無理やり御名前を書くことは致しません。
宝塚歌劇団に正式に所属した団員であります。
歌劇団が全ての活動を停止して彼女の死に向き合うと言うならば兎も角、劇団はいまだに営利活動を続けています。
やはり営利活動を行う身として最低限の責任を果たさない姿には納得がいきません。
ご遺族が公表に了承してくれないのであれば了承してくれるまで全ての公演を中止すべきだと思いますが、それをすれば今度はご遺族等に批判が向きかねませんので、それも望むことではありません。
故に宝塚のいちファンとして双方に最大限配慮した形がこの記事だと信じています。
全面否定するのは簡単ですが、0か100でしか物事を語ろうとしないのは感情のないAIと同じです。
AIですら感情めいたものがあるので、やっぱりただの機械ですね。
木場理事長は女性について「遺族の強い意向を尊重する」として名前は公表しなかったが
(Source: 宝塚歌劇団が俳優急死で調査チーム設置 弁護士ら交えヒアリングへ
https://www.sankei.com/article/20231007-CZGTMASRUNKOJAPGQMBYIZ235E/)
とあり、ヤジキタさまもそれをご承知でいらっしゃるようですが、もしご遺族がこのブログを目にしたときにどのような気持ちになるかお考えになったことがあるのでしょうか。
ヤジキタ様が「ご遺族の気持ちなんてどうでもいい」とのお考えでしたら仕方がないのですが…
せめてもう少し時間が経ってからお名前を出すとかしてもよかったのではと、同じく家族を自死で亡くしたものはそう思ったりします。
このような批判的なコメントをしてしまい大変申し訳ございません。
ヤジキタ様のブログを読んで愛する人を自死で失い悲しみにうちひしがれている家族の気持ちなんてどうでもいいっていうのが一般的な考えなんだなってのをあらためて知らされました…悲しいけどそれが多数の考え方なんですね。
コメント拝見させて頂きました。
ご遺族の事をどうでもよいとは一切思っておりません。
ただ私は御家族よりも御本人の事を1番に考えて貰いたくて、この様な記事を書きました。
有愛きいさんは逃げ出そうと思えばいくらでも逃げ出せたはずなのに、それをしなかったのはなぜなのか?
御家族の期待、残される同期の為、責任感が非常に強い御方だったからこそ、最期までタカラジェンヌで居続けたかったのだと思います。
人は死んでしまったら自我は全てこの世から消え去ってしまうのでしょうか?
御本人と御家族は全く別の自我で生きてきたはずなのに、亡くなった瞬間に御本人の自我は御家族の物になってしまうのでしょうか?
有愛きいさんという人間がこの世に存在した事実は、御家族がどう思われようとも真実であります。
私は有愛きいさんが亡くなられた事を宣伝したいのではなく、有愛きいさんというタカラジェンヌが確かにこの世界に存在したという事実を伝えたかったのです。
このままひっそりと人々の記憶から消えていってしまう事を御本人が望んでいるかは、御家族でさえも分からないことだと思います。
だから私は身勝手ながらも、こうして御名前を出して彼女に心からの哀悼の意を表させて頂いております。
相容れない考えかも知れませんが、私は御本人と御家族双方に最大限配慮して記事を書いているつもりですので悪しからずよろしくお願い致します。
ただ…彼女のご両親・ご家族もそうだろうとは思いますが、亡くした家族を『家族の物』とは考えたことはないです。
それでもやはりあのような死に対する家族の苦悩は言葉では表現できないもので、他の方にはご理解いただけないものだと思います。わたしもあれから2年ほど経ちますが、本当に恥ずかしながら今も苦しみは癒えておりません(みっともないですよね…)。
今回のことはもちろんいずれかは公表されるものですが、それでももう少し劇団側が何らかの形で(たとえそれがプロフから名前を削除するであっても)示すまで待ってなかったのかなと思ってしまいました。
同じような立場からどうしてもそのことは知っていただきたく、失礼ながらコメントさせていただきました。
ヤジキタ様にご不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございませんでした。
コメント深く拝見させて頂きました。
決して不快な思いなど致しておりませんし、失礼とも思っておりませんので、どうかご自愛下さいませ。
自ら命を断たれる事が、この様に周りの人間に様々な影響や論争を与えるからこそ、一部の宗教的には罪とされるのかも知れませんが、私は自死=恥ずべき事とか隠すべき事とは思いたくないのです。
たとえその人がどんな最期を迎えようとも、生きてきた歴史・人生というものは絶対に消せないし、消してはいけないものだと信じたいです。
今回プロフィールからどの様に御名前が外されるのかは分かりませんが、ひっそりと消されてしまってから、こうした記事を書いてもそれが改まる事は絶対に無いと思うので、そうなる前に、こう思う人間も世の中には少なからず存在します、という事を劇団や御家族にも知ってもらいたいのです。(興味本位や好奇心からではなく、本気で御本人のご冥福を祈りたいという思いです)
同じ立場に立たなければ分からないと言われてしまうと、返す言葉もないございませんが、いたずらに騒ぎ立てて事を掻き回すことを目的にしている訳では決して無いという事だけはご理解くださいませ。